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東京地方裁判所 昭和57年(行ウ)156号 判決 1985年3月20日

原告 堤文榮

被告 社会保険審査会

訴訟代理人 山崎まさよ 秋山弘 外二名

主文

1  本件訴えを却下する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告が昭和五七年九月三〇日、社会保険庁長官の阿曽野満基子(以下「阿曽野」という。)に対する厚生年金保険遺族年金を支給しない旨の処分を取り消した裁決を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  本件裁決に至る経過

(一) 厚生年金保険の被保険者であつた堤源(以下「亡源」という。)は昭和五四年一月二六日、死亡した。

(二) 阿曽野は同年四月四日、社会保険庁長官に対し、亡源の内縁の妻であつたとして、右保険に係る遺族年金の裁定を請求した。

(三) 社会保険庁長官は同年六月一二日、亡源にはその死亡当時、戸籍上の妻である原告がいたので、阿曽野は遺族年金の受給権者に該当しないとして、同女に対し遺族年金を支給しない旨の処分(以下「本件原処分」という。)をした。

(四) 阿曽野はこの処分を不服として、同年八月二日、岐阜県社会保険審査官に審査請求をした。

(五) 同審査官は同年九月二七日、阿曽野の審査請求を棄却する旨の決定をした。

(六) 阿曽野はこの決定を不服として、同年一〇月一六日被告に再審査請求をした。

(七) 被告は昭和五七年九月三〇日、社会保険庁長官が阿曽野に対し遺族年金を支給しないとした前記(三)の処分を取り消す旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をした。

(八) ちなみに、社会保険庁長官は同年一二月九日、阿曽野が亡源の遺族年金受給権者に該当するとして、同女に対し右遺族年金を支給する旨の処分をした。

2  原告をめぐる処分経過(原告適格に関連する事実)

(一) 原告は亡源と昭和二二年三月二六日婚姻し、戸籍上も妻であるところ、社会保険庁長官は昭和五五年三月三日、原告に対し、亡源に係る厚生年金保険遺族年金を支給する旨の処分(以下「原告に対する支給処分」という。)をした。

(二) 社会保険庁長官は本件裁決後の昭和五七年一一月一七日、原告は亡源の死亡当時、亡源によつて生活を維持していた者とは認められないことが判明したとの理由により、右(一)の処分を取り消す旨の処分(以下「原告に対する取消処分」という。)をした。

(三) 原告は右取消処分を不服として、昭和五八年四月一六日、愛知県社会保険審査官に審査請求をした。

(四) 同審査官は同年一〇月二〇日、右審査請求を棄却する旨の決定をした。

(五) 原告はこの決定を不服として、同年一二月七日、被告に再審査請求をした。

(六) 被告は、昭和五九年九月二九日、右再審査請求を棄却する旨の裁決(以下「原告に対する棄却裁決」という。)をし、同裁決書謄本は同年一〇月一七日、原告訴訟復代理人に送達された。

3  本件裁決の違法性

(一) 厚生年金保険の被保険者であつた者に正妻がいる場合、内縁の妻を配偶者として遺族年金の受給権者と認めることができないのに、本件裁決は、阿曽野を右受給権者と認め、阿曽野の原告に対する身分上の不法行為を合法化した点で違法である。

(二) 原告と亡源との間には三人の子があり、亡源の母りよを加えた一家五人の生活の経済的主柱として苦労したのは原告であるが、亡源も原告とよく会い、会う都度、相応の金品を原告に交付してきたし、原告のもとに帰宅したときには夫婦関係もあり、原告は実質的にも亡源の配偶者であつた。

亡源の葬儀も原告の長男が喪主となり、主宰し、阿曽野はなんら出捐していない。

4  よつて原告は本件裁決の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否並びに主張

請求原因1、2の各事実は認め、同3(一)の主張は争い、(二)のうち、亡源と原告との間に三人の子があり、りよが亡源の母であることは認め、その余は争う。

本件裁決の理由は次のとおりである。

1  厚生年金保険法(昭和二九年法律第一一五号。以下「法」という。)による遺族年金を受けることができる遺族については、法五九条一項に、被保険者又は被保険者であつた者の配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。法三条二項)、子、父母、孫又は祖父母であつて、被保険者又は被保険者であつた者の死亡の当時その者によつて生計を維持したものと規定されている。

そこで被告は、阿曽野が法五九条一項にいう配偶者と認められるか否か審理したところ、次のような事実が判明した。

(一) 戸籍上の妻である原告は、亡源と婚姻(昭和二二年三月二六日届出)して、亡源の実家(滋賀県東浅井郡浅井町)において共同生活を営み、三子をもうけたが、亡源は、昭和三一年頃阿曽野と関係を持つて、昭和三二年頃から同女の岐阜市内の住居において共同生活を営むようになり、その後、昭和三五年秋頃阿曽野との関係を解消しようとして二週間程度実家に戻つたことがあるほかは、死亡するまで原告と同居生活を営むことがなかつた。

(二) 原告は、亡源と別居した当初は、亡源の本籍地であり、自らの実家も所在する滋賀県東浅井郡浅井町の亡源の実家で生活していたが、居づらくなり、亡源の姉の夫とともに家を出、大津市において生活したものの、数か月後に連戻され、自らの実家に入つた。がしかし、約一か月後単身で再び家を出、岐阜県大垣市において住込みの家政婦として生計を立てていたところ、再び連戻され、滋賀県東浅井郡浅井町において亡源の姉の夫と生活した。

原告は、昭和四八年頃再び単身で岐阜県不破郡関ケ原町において就職し、生計を立てていた。そして、原告が同町に居住することを知つた長男素直の勧めに応じ、昭和五二年一〇月から名古屋市の素直宅に移つている。

(三) 原告は、自ら作成した覚えがなく、印も異なり、発送の事実も知らないと否定しているが、昭和三八年一二月七日付けの清水源亮(原告の弟)方清水(原告の旧姓)文榮の記名捺印がある「先に手渡した離婚届用紙に署名捺印を求める」旨の亡源あての内容証明付文書及び昭和三九年三月一二日付で、これに対する回答がないとの通知書(同じく清水文榮の記名捺印がある。)があり、また、原告は、社会保険審査会における審理の席上、亡源が実家の畑等を無断で売却する等の行動があつたため、叔父(二人)から離婚を勧められたことを認めており、また、岐阜県社会保険審査官に対し「親類……の話により、私もこの際身軽になつた方が良いと思い、昭和三八年に話を持ちあげ、同年末に夫に離婚届の捺印を求めたところ……」と申し立てており、その内容が前記内容証明の文書と符合するところからみて、仮に叔父(二人)が前記文書を亡源あてに送つたとしても、このことを原告は了知していたものである。

(四) 以上の原告の行動及び叔父から離婚をすすめられていた事実からして、原告には、亡源との間の夫婦関係を修復しようとする意思があつたとも、また、その努力をしたとも認められないのである。

(五) 一方、亡源は、昭和三三年一〇月阿曽野との間に一子をもうけ、この子を昭和四九年四月一五日認知している。

亡源は、昭和三五年秋頃、生まれた子の養育料として月五〇〇〇円を支払うことを条件として、阿曽野と別れることを決意し、いつたんは滋賀県東浅井郡浅井町の実家に戻つたが、約二週間後再び実家を出て阿曽野との共同生活を維持し、その状態は死亡まで続いている。

(六) 亡源と阿曽野との共同生活が継続した期間中、亡源は、子素直及び滋賀県に居住する兄弟等と交渉したことはあつたが、原告との交渉及び原告の生計を維持するための送金等は一切行つておらず、原告が社会保険審査会の審理の席上で述べているように、実家の畑を無断で売却する等の行動を行つている。

したがつて、亡源は、前記の離婚届に捺印しなかつたとしても、既に原告との夫婦関係を修復しようとする意思はなかつたものである。

(七) 以上の状態から、原告と亡源の関係は、離婚の届出をしていないが、すでに長期間にわたり夫婦としての共同生活が行われていないままに固定していると認められ、他方、亡源は、同人が昭和五三年分の所得税の控除対象者に母とともに阿曽野を加えていることから明らかなように、同女を配偶者として扱う意思を有していたものである。

2  そこで被告は、本件は法律上の婚姻関係にある者が重ねて他の者と内縁関係にある場合、いわゆる重婚的内縁関係に該当するものと認めた。

そして被告は、内閣法制局が「国家公務員共済組合法にいう配偶者の意義について(昭和三八年九月二八日決裁)」において、「国家公務員共済組合法二条一項二号イにいう配偶者として共済給付を受けることができる者は、現行法のとつている婚姻の届出主義および婚姻に関する社会一般の倫理観からいつて、届出による婚姻関係がその実体を失つたものになつているときは別として、それ以外のときは届出による婚姻関係における配偶者と解すべきである。」とした見解を妥当なものとして採用し、本件の場合も原告と亡源との婚姻関係は既にその実態を失つたものと判断し、社会保険庁長官が阿曽野に対し戸籍上の妻がいるという理由により遺族年金の支給をしないとした処分は、妥当でないとして取り消したものである。

なお阿曽野が、遺族年金の支給を受けることのできる遺族に該当すると認めるか否かは、処分権限庁である社会保険庁長官の判断にまかせられるべき問題である。

三  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1は、(三)のうち各文書の送付を原告が了知していたとの点、(四)の事実、(六)のうち亡源と原告との間で交渉及び原告の生計を維持するための送金等は一切行われなかつたとの点並びに亡源に原告との夫婦関係を修復しようとする意思はなかつたとの点、(七)の事実をいずれも否認し、その余の事実は認める。

原告が家出した原因は、りよらが原告と平田薫(亡源の姉の夫)とが怪しいと騒ぎ立てたからであつたが、昭和四八年には原告と平田薫との関係は解消している。亡源は右事件後も屈託なく原告のもとに立ち寄つていた。被告のいう離婚届書は原告の意思に基づかないものであり、原告が離婚の意思を持つたり、表明したことはない。

2  被告の主張2は争う。

第三証拠<省略>

理由

原告は、社会保険庁長官が阿曽野に対し厚生年金保険遺族年金を支給しないとした本件原処分を取り消す旨の被告の本件裁決の取り消しを求めるところ、請求原因1、2の事実は当事者間に争いがない。しかし、本件裁決は阿曽野の遺族年金受給権を否定した本件原処分を取り消したに過ぎないものであり、これによつて原告に対する支給処分(請求原因2(一))に基づく原告の遺族年金受給権が法律上侵害されたものとはいえない。原告に対する支給処分の取消処分が理由とするところは、原告は亡源の死亡当時、亡源によつて生活を維持していた者とは認められないことが判明したというものであり、右取消処分は阿曽野を亡源に係る本件遺族年金の受給権者と認めるべきであるとする本件裁決の認定を踏まえてなされたものであることは、その時間的前後関係から推測するに難くないところであるが、原告に対する支給処分によつて発生した具体的な権利としての原告の遺族年金受給権を消滅させる効果は、右の原告に対する取消処分に基づいて発生したものであつて、本件裁決の効果そのものでないことは明らかだからである。

したがつて、原告は、自己に対する取消処分についてその取消しを求めるのは別として、阿曽野に対する本件裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者(行訴法九条参照)には当たらないといわざるをえない。

たしかに、厚生年金保険法五九条一項にいう配偶者は、法律上、複数であつてはならないから、原告及び阿曽野がそれぞれ右の配偶者に当たるとして亡源に係る遺族年金の受給権を主張する場合、いわゆる競願に類似した関係が発生するかのように見えないではない。しかし、無線局の開設免許の競願のように、第三者が同一周波数(電波)で既に放送中であるときは、自己に対する当該拒否処分が取り消され、開設免許を得て放送を開始しても、混信を生じ、免許を得た目的を達成できないから、このような性質の権利に係る場合であれば、他方に対する免許処分と自己に対する免許拒否処分とはいわゆる表裏の関係に立ち、他方に対する免許処分の取消しを求める法律上の利益の存在を考えることもできるが、本件のような遺族年金受給権は、原告に対する棄却裁決が取り消されて、原告に対する支給処分がなされるならば、原告の法律上の地位(受給権)に生じた不利益は完全に回復される性質のものであり、阿曽野に対する支給処分(請求原因1(八))又は本件裁決の取消しを原告が請求しなければ右の不利益が回復されないものではない。

そうであれば、原告に対する取消処分と阿曽野に対する本件裁決とはいわゆる表裏の関係に立つ競願には当たらないものと解すべきである。

のみならず、いわゆる表裏の関係に立つ競願の場合であつても、出訴期間の徒過によつて自己に対する拒否処分の取消しを訴求できなくなり、競願状態が消滅したときは、かつて競願者であつた第三者に対する免許処分の取消しを訴求する法律上の利益を喪失したものと解すべきところ、原告は、自己に対する取消処分について昭和五九年九月二九日、再審査請求棄却の裁決を受け、同裁決書謄本が同年一〇月一七日、原告訴訟復代理人に送達されたにもかかわらず、弁論の全趣旨によれば、右棄却裁決に対する取消し等の請求を出訴期間内に提起せず、同期間を経過したことが認められる。

そうすると、本件がいわゆる表裏の関係にある競願であつたとしても、原告は本件裁決の取消しを求める訴えの利益を欠くに至つたものといわなければならない。

よつて、本件訴えは原告適格を欠く不適法なものとして却下を免れないから、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 山本和敏 太田幸夫 滝澤雄次)

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